「現実に浮かれず、努力した先に理想の未来がある」 モデルSAORIがアンドロイドになった経緯

アンドロイドのお姉さん連載2回目

アンドロイドのお姉さんとして活動して3年目に突入した私ですが、どのようにしてアンドロイドの仕事をするようになったかをほんとによく、毎回聞かれます。

今までもメディアや自分のYouTubeチャンネルで語ってきましたし、自分ではもう話し飽きた感も否めないですが、改めて書いて欲しいと言われたのであの時の事を思いだしながら書いていこうと思います。

 

アンドロイドのお姉さんSAORIさん

SAORI
「アンドロイドのお姉さん」として活動中のフリーランス。プロモーション動画やイベントなどでアンドロイド役を演じ、話題を集めている。大阪府出身。
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モデルSAORIがアンドロイドのお姉さんになるまで

さかのぼること3年前、私は全く売れないモデルでした。大事な事なので復唱しますが、鳴かず飛ばずの底辺モデルでした。

「モデルになる!」と親の反対や周囲の心配を押し切って上京してきたはいいものの、私の実力で所属できたのはほぼ無名の事務所で、週に何回か言われたオーディションに行って、知名度も実績もないので落ちまくる日々。運よく通ればたまに仕事をして、それ以外はアルバイトで生活費を稼いで、そんな生活をしていました。

当時は飲み会で偉そうに「モデルやってまーす」なんて自己紹介していましたが、モデルなんて名ばかりのただのフルタイム出勤のアルバイターでした。

ドラマやCMに出れたとしても、後ろ姿だけとか顔が見切れていたりとか、芸能人を見たいからと来ていたエキストラの人と同じような扱いで、ミーハーな人達を横目に見ながら「こっちは仕事なんだよ」とモヤモヤを募らせ、惨めさを出さないように、覚えたての業界慣れてます風の挨拶をしたりして……。

私じゃなくても誰でもいいんだろうな、代わりはいくらでもいるんだろうなという仕事ばかりでした。1日中一緒にいたはずのスタッフさんに名前も覚えてもらえなくて。

就職もせず東京に出てきて、思ったような、夢見ていたような活躍はできなくて、一体何をやっているんだろう。いつまでこの生活が続くのだろう。いつしか夢を見るのではなく、諦め方を探すようになっていました。

そんな時に急に脚光を浴びたのです。

あるイベントでアンドロイドを演じて欲しいと言われて、コスプレイヤーの人達も大勢くるイベントだったので、そんな感じかなと深く考えず引き受けました。

アンドロイドなんてやったこともないし分からなかったですが、10人いた他のアンドロイド役の人達と「こんな感じかも」とすり合わせをしてなんとなく「ぼやっとした感じ」で挑みました。

時間になればブースに入ってアンドロイドを演じて、時間が経ったら戻って休憩する。その繰り返しでした。決められたことをやる普段の仕事と特に変わらないなと思いながら1日の労働が終わるのを待っていました。

ほかのアンドロイドの人達は外国人モデルの人が多くて、常にハイテンション、控室に大音量のクラブミュージックがかかっていて、英語が飛び交います。私は馴染めなくて端っこで疲れたふりをするしかなくて、それも相まっていっそう早く時間が過ぎるのを願っていました。

そんななかイベント会場に来ていたお客さんが撮った『アンドロイドが動いている動画』がTwitterでとめちゃくちゃ拡散されて「本物?」「日本の技術はここまできたか」「さすがに嘘っぽい」などコメント欄で議論になり、それがまた話題になってより拡散される事態になりました。まぁご存知の通り私だったのですが……。

その日のトレンドの中心には間違いなく私がいました。信じられない事だったので傍観しながら「なんかすごいね」とスタッフさんに言ったのを鮮明に覚えています。

色々な兼ね合いがあり「それ私です!」なんて声高には公表できなかったのですが、某掲示板で特定されて、その日だけでインスタグラムのフォロワーが1万人ほど増えました、今まで友達しか見ていなかった無名のモデルのインスタに波のように人が押し寄せてきたのです。

控室でもクライアントさんと広告代理店の人達におだてられて褒めれ、称えられ、浮かれてしまった私は流れていたクラブミュージックにひっそり乗ってみたり。

「あぁやっと認められる、この世界で生きていける」そう思いました。
実際それからお仕事の依頼も来るようになりました。動画作品の主演や雑誌で特集を組んでもらったり、いままで何者でもなかった私に声がかかる、その頃の私は間違いなく浮かれていました。

Twitterでバズった女の子の歩む道(一時期、橋本環奈さんや稲村亜美さんをめっちゃググっていました)が自分の前にも開けてしまったと、興奮して眠れない日を数日過ごしました。

「チャンスを取りこぼさないよう、きちんと下地を作る」

でも、そんなうまく事は運びませんでした。アンドロイドの市場はすごくニッチだったのです。今でも芸能界のスーパー隙間産業です。

そして、これは大いなる反省なのですが、私自身売れる準備ができていませんでした。モデルをやっていたはずなのに大きいスタジオで沢山の人がいる撮影ではがちがちに緊張して「ダメだこりゃ」という重い空気にさせたり、スタッフさんと意思疎通が取れなくてミスしたり。いきなりスポットライトを浴びて、でもそこにいるのは以前と変わらない自分で戸惑って自信がなくなって……。

売れるための下地がちゃんとできていないまま、努力もなく急にバズってしまって、待っていてもそれなりに仕事がくるもんだから新しい挑戦をすることができなくなって……、。

思い出すだけで胸が痛く恥ずかしくなってしまいます。

そんな感じでアンドロイドとして少し有名になってからも売れっ子とは程遠い生活をし、「自分なんてこんなものか」と悶々とした日々を過ごしていました。

SNSでバズったら、久しぶりの友達から連絡がきて褒められるかもしれません。短期間でフォロワーが増えるので一時的に承認欲求が満たされるかもしれません。でも3時間後にはまた違うトレンドに塗り替えられて新しい話題の人が出てくる、人の興味なんてそんなものです。

そんな現実に浮かれず、腐らず、努力した先に理想の未来があるんじゃないかと、あったんじゃないかと当時を振り返っておもってしまいます。

と、まるで後悔してる、と思われそうな文章になってしまいましたが今は今ですごく面白い人生を歩んでいる気がしていて、アンドロイドを3年間続けたことに新たな価値が出てきて、3年目にして新しい挑戦をさせてもらう事が増えました。

アンドロイドなのに喋る仕事が増えたり、こういう書く機会を頂けた時に「アンドロイドなのに人間臭い文章を書くね」と笑ってもらえたり……。

私は橋本環奈さんにはなれませんでしたが、あの時の熱狂と期待。それと現実の厳しさを味わえたことはすごく貴重なことで、自分の人生の財産だと思わざるを得ません。

その財産の一部をここに書き残しておきます。「人生を変えるほどのチャンスが訪れたときに取りこぼさないようにきちんと下地を作っておくこと」そして、「もし多くを取りこぼしても、案外楽しくやっていけるものだと」全く参考にならなさそうですが、よければ反面教師に使ってください。

次回は今現在の活動について書いていきます。

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