「行きつく先は分からないけど、今の人生が好きです」SAORIが”自分を少しだけ肯定できる”理由

アンドロイドのお姉さんSAORIさん

「アンドロイドを始めてから3年が経ったのか」

9月にオンラインで開催された、東京ゲームショウの様子がTwitterに流れてきて、しみじみそんなことを思いました。

高校生になったばかりの子が青春時代を経て、大人になるための選択を迫られるような年月を、私はアンドロイドとして過ごしたのかと思うとかなり不思議で、少し笑えてきます。

最初こそ、「バズったことで人生が変わったモデル」「テクノロジーと共存できる希有な存在」などと大層なキャッチフレーズで語られることもありましたが、最近は岩の上にも3年という言葉通り、続けてきたという事実を褒めてもらえることが多くなってきました。

アンドロイドのお姉さんSAORIさん

SAORI
「アンドロイドのお姉さん」として活動中のフリーランス。プロモーション動画やイベントなどでアンドロイド役を演じ、話題を集めている。大阪府出身。
TwitterYouTube

「今まで見たこともない自分に出会いたい」

振り返ってみると、我ながらニッチな、先駆者のいない道を、よくぞ歩いてきたなと思います。

初めてのことだらけで、新鮮で面白い事は多かったのですが、つらいことも同じくらいありました。

面と向かって「アンドロイドなんて一発芸ですか」と馬鹿にされることもあったし、「オワコン」と言われたり、悔しくて、いちいち落ち込んで、そのたびにみてろよという反骨精神を燃やして、それも続けるための原動力の1つでした。

この前、何かのインタビューで、「色々と新しい挑戦を続けていますが、これからどうなっていきたいのですか?」と聞かれて。
「挑戦することで新しい自分に会えるのが嬉しくて、今まで見たこともない自分に出会いたくて、その瞬間を望みながら活動しています」と答えました。

『海外進出をしたいです』みたいな、はっきりとした野望、夢、記事映えするような事をコロナウイルスのせいで語れなくなってしまって、苦し紛れに自分の中から絞り出した言葉だったのですが、振り返って考えてみると、けっこう真理だなぁと思っていて。

喋りが得意ではないのにラジオをやっていたり、文章なんて書いたこともなかったのに連載で書いてみたり、動画編集なんてできなかったのに、今やプロも使う編集ソフトであーだこーだ試行錯誤してみたり……。
もちろん需要が少なからずあるからやっていけているのだと理解していますが、新しい世界を、そこに立つ自分の姿を見てみたいという好奇心で、手をあげたのではないかと思います。

アンドロイドをやり始めたのはバズったから。運と絶妙なタイミングのおかげです。謙遜とかじゃなく本当にそれだけだと思っています。でも続けてこれたのは、予想不能な流れに身を任せてこれたのは進んだ先に何か面白いモノがあるに違いないと、私の感覚を信じた結果でした。

それは正しいのか、否か未だに分かりません。分かるのはたぶんずっと先のことだから。

もしアンドロイドではない、違う道を選んでいたら……?

分岐する道

最近、違う道を選んだ人生について妄想をしてしまいます。地元の友達の「結婚します」の便りが連続で届いたからでしょうね。

たとえば、大学を卒業して(実は卒業しています……)、地元で就職して、合コンか流行りのマッチングアプリで出会ったいい人といいタイミングで結婚して、子供もいて、「アンドロイドって?スマホの種類ですか?」なんて言ってしまうようなそんな人間で、日常の幸せや苦労を日々噛み締めながら忙しく生きていたとして。それでもなにか面白いこと、刺激的なことを探してしまうのだと思います。

完全に大人、もしかするとおばさんと呼ばれる年齢になったって、バックパック1つだけ持って日本の秘境を巡る旅に出てるかもしれないし、一人でふらっとに飛行機に乗って台湾の九份に行ったりしてるかもしれないなと思うのです。アンドロイドでもモデルでも何者でもなかった頃、ただ沢木耕太郎に憧れて、アナーキーな存在になりたいと自分探しをしていた学生時代と同じように。

下手したら誰も見ないのに、YouTubeで動画投稿なんかもやっていたかもしれないとさえ思うのです。

いわゆる「普通」の生活を妄想していたはずなのに、どのルートを詮索してみても、今とそんなに違わない所に着地してしまうのです。そんな自分がナチュラルすぎて、もしパラレルワールドがあったとしても、知らない世界を見てみたいという探求心は、きっと持っていただろうなと思ってしまうのです。生まれ持った性格なんでしょうね。

それを表に立って発信するか、しないかそれくらいの些細な違い。

もし、それをクリエイティブと呼ぶなら、私は年をとっても、アンドロイドじゃなくなっても、どんな形でもクリエイティブに関わって生きていくのだろうなと漠然と思ってしまいます。

「私は今の人生が結構好きです」

でも、なるべくしてこうなったなんて言葉は、カッコつけすぎて、ロマンチックすぎて。

どんなことにでも「運命だね」と言って口説いてきた、胡散臭い運命論者の知人を思い出して苦笑いしてしまいます。そんなナルシシズムも決して嫌いじゃないですが、今の私は、気付いたらここにいたという感じです。

流されて、行きつく先は分からなくて、でもきっと新しい自分に出会えるという感覚をたよりに行けるところまで流されてみる。たまに周りの人に浮き輪を投げ入れてもらったりして。

どうしようもない不安に駆られる夜もあります。苦しいし、辞めたいと思うこともあります。でもその先にある景色を見ずに死ねないな、と思ってしまうのです。

私は今の人生が結構好きです。ネガティブ思考で、なんでも人と比較してしまう私が、最近ようやくこの言葉を言えるようになりました。

こんな気持ちになるなんて、新しい自分に出会えたということですね。嬉しい。
この瞬間に今まで歩んで来た道を振り返り、他人事のように「結構回り道したな」なんて呟きながら、すこしだけ自分を肯定してあげられるのです。

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